ブラー(blur)活動・作品を時系列でまとめ
ブリットポップの盛り上がりと共にイギリスを代表するバンドとなったblur。
オアシスとの争いや、バンド内の分断など、
様々な経験を経て復活したストーリーにも心惹かれる魅力があります。
そんなブラーの歴史をまとめましたので、是非見ていってください。
【追記】2023年のサマソニにBlurがヘッドライナーでの参加が発表されました!
僕もめちゃくちゃ楽しみです!
予習に2009年ロンドンのハイド・パークで行われた復活ライブをどうぞ。
Amazon Videoで100円レンタルで見られます。
こちらは名曲揃いのベスト盤
ブラー(blur)のメンバー
写真左から、
・グレアム・コクソン :ギター
・デーモン・アルバーン :ヴォーカル
・アレックス・ジェームズ:ベース
・デイヴ・ロウントゥリー:ドラムス
ブラー(blur)の活動年表<シングル・全アルバム・ライブ・周辺環境>
- 1988前身となるバンドCircus(サーカス)結成 event
デーモン、デイブによる活動
- 1988Seymour(シーモア)結成 event
デーモン、デイブに加え、グレアム、アレックスが参加。
オリジナルメンバーが出揃う。 - 1989/11バンド名が”blur”に event
フード・レコーズとの契約を機に、バンド名をblurへ変更。
- 1990/10デビューシングル『She’s so high』発表 single
全英48位。
- 1991/81stアルバム『Leisure』発表 album
全英7位。
当時主流のシューゲイザー、マッドチェスター風味の作風。リンク - 1992/4~5USツアー event
マネージャーが多額の資金を使い込んだことで、資金調達のためUSツアーを行うも、当時アメリカはグランジブーム一色。
全く受け入れられず冷遇を受ける。 - 1993/52ndアルバム『Modern Life Is Rubbish」発表 album
全英15位。
アメリカでの惨敗経験し、グランジへの反骨心から”英国性”を追求。
ブリット・ポップ黎明期の名盤。リンク - 1994/3シングル『Girls & Boys』発表 single
全英5位。
近郊のリゾート島でハジける男女についてユーモアを交えて歌ったポップソング。 - 1994/4/5グランジロックのカリスマ、Nirvanaカートコバーン死去 environment
1994年4月5日、シアトルの自宅にて。
- 1994/4/25Oasisデビュー environment
シングル『Supersonic』にてデビュー。
- 1994/4/113rdアルバム『Parklife』発表 album
全英1位。
グランジの終焉も追い風となり、アメリカナイズドされた音楽シーンからブリット・ポップへの転換点となる。表題曲『Parklife』では、モッズ文化の青春映画『さらば青春の光』主演の俳優フィル・ダニエルズをゲストボーカルに起用。
コミカルなPVもあって大ヒット。リンク - 1994ブリットポップムーブメント environment
新鋭のUKバンドに熱視線が注がれる。
メディアが「ブリットポップ」の呼称を使用し始める。- 狭義のブリットポップは、blurの所属事務所を含め、
インディ拠点が多く存在していたロンドン北部の町カムデンが発祥。 - ブリティッシュビート、グラム、パンク、ニューウェーブなど、英国ロックをルーツに持ち、
ポップなメロディのギター音楽 - 英国の日常や、英国人情緒に触れる歌詞も特徴
- 狭義のブリットポップは、blurの所属事務所を含め、
- 1995/2『Parklife』がブリット・アワードを総舐め event
イギリスの音楽賞ブリットアワードで4冠を達成。
- 最優秀バンド
- 最優秀アルバム(『Parklife』)
- 最優秀シングル(『Parklife』)
- 最優秀ビデオ (『Parklife』)
- 1995/8/14シングル『Country House』発表(oasis『Roll With It』 発表) single event environment
宿敵関係とみなされていたoasisと、シングルを同日発売。
blurがチャート1位を獲得。(本作がblurのベストセラーシングル。)
PVはダミアン・ハーストが監督を勤める。 - 1995/9/114thアルバム『The Great Escape』発表
全英1位。
ブリットポップムーブメントの中で疲弊したバンドの状況もあり、
ポップな音楽の中にどこか悲観的な表現・倦怠感が見られる作品。リンク - 1995バンド内に不協和音 event
加熱するブリットポップ騒ぎの中で、メンバーへの重圧も高まる。
ローファイな音楽嗜好のグレアムは『The Great Escape』のポップ路線を”行き過ぎ”と感じる。
また繊細な性格から、バンドの成功に伴って派手なパーティが行われることに嫌悪し、バンド内で疎外感を抱えるようになっていく。 - 1996/2レコーディング中にデーモンとグレアムが衝突 event
バンド内がガタガタに。解散危機と報じられる。
- 1996/3グレアムの手紙 event
ツアーの終了後に休暇を取り、互いに距離を置いて過ごす。
この期間デーモンはこれまで毛嫌いしていたヒップホップや、ローファイ、オルタナへの関心を深め、グレアムの趣味にも理解を示せるように。グレアムも葛藤の中、デーモンとの関係性を回復するため、率直な思いを綴った手紙を送る。
「もう一度ブラーで、人々の度肝を抜いてやりたい。」 - 1996/5ライブアルバム『ライヴ・アット・ザ・武道館 – Live At The Budokan 』発表 album
日本のみの限定発売。(後にイギリスでも発売)
1995年11月の武道館公演を収録。リンク - 1997/25thアルバム『blur』発表 album
全英1位。
崩壊寸前だったバンドは本作で復活を遂げる。
攻撃的なギターサウンド。ブリットポップとは一線を画す内容。シングル『Song 2』はCM等様々な場面で使用され、blurの代表曲に。
リンク - 1997/5労働党とクール・ブリタニア environment
労働党が保守党から政権を奪還。
トニーブレア新首相が音楽・ファッションなどの英国文化振興「クール・ブリタニア」政策に乗り出す。
デーモンへ首相官邸への招待があったが断りを入れる。
対照的にoasisのノエル・ギャラガーは官邸での会談を行なっている。 - 1998/2リミックスアルバム『Bustin’ + Dronin’』発表 album
2枚組のリミックス&ライブ盤。『blur』収録曲からの選曲。
<Disc1(リミックス)>
後にアルバム『13』のプロデューサーを務めるウィリアム・オービットやモービーなどがリミックスを担当。
<Disc2(ライブ)>
ラジオDJジョン・ピールの自宅で録音されたもの。
元々はBBCの放送用として収録された。リンク - 1999/2/22シングル『tender』発表 single
全英2位。
デーモンが長年の恋人ジャスティン・フリシュマンとの破局を歌詞に綴ったゴスペルソング。
ライブでの大合唱も印象的な一曲。 - 1999/3/156thアルバム『13』発表 album
全英1位。
プロデューサーを変更(ウィリアム・オービット)して作成された、実験性の高い作品。
エレクトリックなサウンドが盛り込まれる。グレアムがヴォーカルを取る『Coffee & TV』はPVの愛らしさもあって人気。
リンク - 1999/9結成10周年 blur展『Ⅹ」をロンドンで開催 event
- 1999/7フジロック・フェスティバル出演 event
2日目のヘッドライナーを務める。
- 1999/12結成10周年ツアー event
これまでのシングル全曲をリリース順に演奏する、特別なUKツアーを実施。
- 2000/10初のベストアルバム『The Best Of』発表 album
デビュー作から『13』までのシングル曲をまとめたベスト盤。ジャケットは画家のジュリアン・オピーが担当。
初心者の入門にもオススメの一枚。
当時の最新曲『Music Is My Rader』(オリジナルアルバム未収録)も収録。リンク - 2001デーモンがゴリラズとしての活動を開始 event
1stアルバム『Golliraz』は、全世界で700万枚以上を売り上げる大ヒット。
※本記事ではメンバーのサイドプロジェクト詳細は割愛します。リンク - 2001/10グレアム リハビリ施設へ入院 event
アルコール依存症と抑鬱症状を併発していたことから、1ヶ月間の入院。
- 2001/11グレアム抜きで、ニューアルバムのレコーディングを開始 event
退院以降グレアムは断酒に成功。バンドへ戻ったものの、他メンバーとの関係性が修復せず。
- 2002/5グレアム脱退 event
グレアムはマネージャーを通じて「スタジオにもう来ないで欲しい」との連絡を受ける。これを持ってバンドの脱退を決意する。
- 2002/93人でニューアルバムのレコーディングを継続 event
3人とプロデューサー陣はモロッコへ。レコーディングを継続する。
グレアムの不在は伏せられていたが、大衆紙に報じられ公のものとなる。 - 2003/5/57thアルバム『Think Tank』発表。 album
全英1位。
アフリカ音楽に加えアラブ音楽への傾倒も見せる。
同時のデーモン半イラク戦争活動を通じて、歌詞も政治的色彩を帯びている。
アルバムジャケットは覆面アーティストのバンクシーが担当。リンク - 2003〜2007約4年間に及び活動休止 event
グレアムを欠いたバンドは求心力を失い自然消滅的に活動を休止。
その間もデーモンはゴリラズの成功や、ソロプロジェクトにと精力的に活動を展開。 - 2007/10デーモンとグレアムが話し合いの場を持つ event
グレアムはデーモンの「アフリカ・エクスプレス」のライブに足を運び、脱退以来初めて腹を割って会話をする。
翌月デーモンがそのことを公表「親友との仲が元に戻ったのは最高だ。」 - 2008/12/9グレアムの復帰を発表 event
バンドの公式声明として、グレアムの正式復帰が発表された。
また、翌年7月にロンドンのハイド・パークで再集結ライブを大なうことも発表。 - 2006/6/11ベストアルバム『Midlife : A Beginner’s Guide To Blur』発表 albumリンク
- 2009/6グラストンベリー・フェスティバル出演 event
- 2009/7/2~3ハイド・パークでのライブ event
ロンドン野外ライブの聖地ハイド・パークにて、2日間に渡って実施
ライブアルバム『All The People』live album
CD2枚組で本ライブの模様がアンコールまでフルに収録されている。
リンク - 2010/1ドキュメンタリー映画『No Distance Left To Run』公開 movie
バンド再結成の軌跡を辿るドキュメンタリーと、再結成ライブのハイライトであるハイド・パーク公演がパッケージされた映像作品は必見!
リンク - 2010/4シングル『Fool’s Day』を限定発売 single
- 2012/7シングル『Under the Westway / The Puritan』発表 single
ロンドンのスタジオ屋上からのライブを、インターネットで生中継して発表された。
- 2012/8ロンドンオリンピックの閉会式記念コンサートに
ヘッドライナーとして出演 eventオリンピックの興奮と共に開催されたハイドパークで行われたライブ。8万人の観衆が集った。
ライブアルバム『Park Live』live album
本ライブの様子はCD、DVDそれぞれのフォーマットで発表されている。
リンク - 2013ワールドツアーを敢行 event
香港ライブ後、予定されていた日本公演が突如キャンセルされる。(2014/1 に武道館での代替公演が開催された。)
中止された日本公演
当時謎の運営者(?)により『Tokyo Rocks』というフェスが予定されていた。(私もチケットを購入していました。。)
味の素スタジアムを会場とし、blurの他プライマルスクリームやマイブラッディバレンタインなどが出演予定であった。
しかし巨大なキャパの会場を抑えているにもかかわらず、プロモーションがほとんどない、オフィシャルサイトも作成されないなど運営がずさんであり、結局フェスの中止が発表された。
- 2015/28thアルバム『The Magic Whip』発表 album
前述のワールドツアーで日本及び台湾の公演が中止となったことで、バンドはしばらく香港で滞在する。この時録音された音源をベースに、グレアムがイニチアティブをとって作成された。
そのためアートワークも香港がインスピレーションになっている。リンクドキュメンタリー映画『New World Towers』movie
『The Magic Whip』の制作の様子が収められたドキュメンタリー。
リンク - To Be Continued…
最後までご覧いただきありがとうございます!
非常に長くなってしまいましたが…
ブラー活動の軌跡を頑張ってまとめてみました。
各自のプロジェクトも楽しみですが、やはりブラーとしての今後の活動も楽しみにしたいですね!
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